高木園のルーツ小話
高木園の歴史の一部を回想してみました
高木園の創業は昭和7年(1932年)で、この記事を書いている2023年現在では創業から91年になります。今でもひいひい言いながら頑張っていますが、父が家業を継いだ頃は後発だったせいもあり、お店で待っていてもお客様がいらっしゃらない。
それで自転車に茶箱をくくりつけ、その中にお茶を積んで個人のお客様のお家をたずね一軒一軒売り歩いたそうです。この頃はあまりきかれないけど行商というものですね。二十歳そこそこだったから恥ずかしかったろうと思います。
そのころは常磐炭鉱がとても盛んだったので、炭住という炭鉱で働く人たちが暮らす住宅街などへも足をむけると、若い子が一生懸命頼むものだから、買ってくれる人もいる。でもそのとき、こんなことをいわれたそうです。
「おにいちゃん、可愛いから買ってあげたいけど、生協で売っているお茶がとってもおいしいんだ。それに帳面で買えて(月末払い)、おまけに一割引になるんだよ。だから、ごめんね」と。
それであんまりくやしいからそのおいしいといわれるお茶を買って、飲んでみたら、たしかに自分の売っているお茶よりもおいしい。それはショックだった。そして考えたことは、とにかくおいしいお茶を売ること。
そのためには仕入れ先を吟味し、節約してお金を貯め、それを仕入れにまわすこと。その努力を営々と積み重ねてきた結果、少しずつお得意様が増え、自転車ではまわりきれなくなり、ちょうど発売されたばかりのホンダのカブという50ccのバイクを買い、それが軽自動車に、やがてファミリアのライトバン・・。
と売り上げに比例して乗物が大きくなっていきました。という話を僕は父の手伝いにいったとき、何人ものお客様からくり返し聞かされたものです。いまもこうして書いていて、そりゃあたいしたものだなあと思わずにはいられません。
行商もやっていました
父が40年近くやっていた行商をそのまま引き継いで20年くらい。個人や会社のお客様を月に1回くらいのペースで定期的に訪問し、いつも決まってお求めになる商品の他、ついでに買ってくれそうなお菓子などをご案内します。いわゆる御用聞きと似ている。
こういった商売の仕方は、きっと昔からあったもので、飲食店の屋台みたいなものかなあ。戦後、お店の少なかった時代には、たくさんの仲間がいたそうです。魚屋さんや駄菓子屋さんなど。
その頃、父がよく顔を合わせた魚屋さんが、今いわきで一番大きな結婚式場のいわやさんだそうです。ところで、そうやって長い付き合いになった気心の知れたお客様は、なんて言うか非常に心強い味方になってくれます。
よその人からいただいたお菓子などがおいしいとそれを下さって、気に入ったら仕入れてくれる?ちゃんと買うわよ、という感じで。その結果取引するようになった商品がたくさんあります。二本松豊田屋の本練り羊羹、ひたちなかの干し芋など。
それから新しい商品を導入するときには、率先して買ってくれますし、こういうのをやろうかと思うけど、これくらいの値段だとどうですか?と相談することも。そんなふうにお客様としての反応を教えてもらったりして。
たいていは玄関先で10分もかからないくらいのやりとりですが、それが20年以上も続いていることは本当はとても大きな事なのかもしません。信頼出来る温かい交流に僕たちのこころはきっと一番育てられると思えます。